いってきます

あけましておめでとうございます。
ここ数年、この時期はインドか実家なので、
京都にきて八年目ですが、
年越しをここで過ごすのは初めてでした。
大徳寺さんでの除夜の鐘と、
ことしからご近所になる、下鴨神社さんで初詣。
家族や身近なひとたちの、
健康と平安を。
みなさまにとって、
穏やかですばらしい一年でありますように。
そして2日の今日は、いざインドへ。
目の前のことに、素直に、柔軟に、
吸収して、行動していけますように。
今回も、だいじなノート。
ここに、出会ったもすべてがはいります。
すでに前旅ノートから、カッチ語やマルワリ語などを
書き出し。
いつもは、旅の途中に得た布や紙きれをはっていくのですが、
今回は、前もってカバー貼り。
なにが詰まっていくのか、たのしみです。
では、いってきます。

ひさしぶりの、ソーサー付きチャイ。

グジャラートにはいったとたんに、
チャイにはソーサーがつきます。
ちょっとちがうのは、ソーサーにチャイを注いですすること。
カッチにつきました。
インドの西にある、グジャラート州の西。
西の西。
広大な湿原にかこまれている、乾燥した地域。
雨期には湿原に水が張って、島のようになるそうです。
ここへは4度目。
中心地のBhujの宿を拠点に、
3週間ほど、まわりの村を巡る予定。
会いたいひとたちがいる村へ。
はじめての村へ。
すてきな出会いがありますように。
おだやかな気持ちで、瞬間瞬間を吸収できますように。
とりあえずは、パーミッション情報などを仕入れたり、
洗濯したりの一日。
よくみると、鳥の水飲み場が、いたるところに。
やさしい、インド人らしい光景。


アジュラクプリント

Bhujについて、いつものホテルにおちついたら、
軽くて丈夫なおおきな袋に、水とビスケットをいれて、
周辺の村めぐり。
バスで2時間東にある、 Dhamankhaと、
Bhujからすこし東の、Ajurakpurへ。
草木染のブロックプリントの村です。
パキスタンとまたがってある、アジュラクプリント。
数十年前は、ほぼ化学染料にかわったところを、モハマドさんが草木染に再び力を入れて、
いまはその家族が、それぞれ活動しています。

ここらへんは、ひるまはあたたかいけれど、朝と夜はひんやりします。
あさ8時ごろ、まだ水がつめたい時間から、
ビニールをかぶって、水の中での作業。
生地をあらって、たたいて、絞ったり、やわらかくしたり。

建物のなかでは、リズミカルに、手際よく、
木版で模様が描かれていきます。

この道25年のヴェルジーさん。職人タコのすてきな手。

ぼくはまだ3年だから。と、これからどんどん味がでてくる、つるつるの手。


木版づくり、ひとつひとつ手作業。宝のやま!

染めて、洗って、乾かして。
洗濯物も、すぐ乾くいい季節。
雨季はおやすみするそうな。

仕事とつなげる前から、ここにきては布をえらんで。をくりかえしていました。
ウスカバードは、いまはほぼアクセサリーづくりでいっぱいですが、
この生地をつかった小物もつくりたい。。
オーダーでなく、自分でつくりたいので、なかなか手がたりないところですが、
今年こそ!
すてきなものは、眺めているだけでしあわせになります。
さ、あしたは他の村へ。
ラバリーの村
Bhujから東へ、バスで2時間半の、ANJARへいってきました。
ちらっと寄ったことはあったけれど、
なにもしらずにいくと、なかなか難しいもので、
Bhujで、下調べ。
いろんなところで、明日ANJARへいくんだって、いってみるもんです。
よくいく骨董屋さんで、すれ違いに入ってきたひとが、
ANJARの人。
地元の民族のひとたちのアクセサリーをつくったり、
趣味で古いものをあつめている方でした。
とりあえずは、そのひとを尋ねに。
1,2泊しながら、町を散策。の予定でいってきました。
東へ2時間のANJARは、昔のカッチの中心地らしい。
ラバリーやアヒルの村がまわりにたくさんあり、
町のバザールにみんな買い物にきているので、街中すてきな雰囲気。


左/アヒルの女性 右/ラバリーの男性 下/ラバリーの女性

かっこいいたたずまいの人たちがたくさん。
彼らは、カッチ語よりも、グジャラート語をよくはなしている。
ANJARから15キロほどはなれた、ワイサメリというラバリーの村へ。
2001年の大地震で、あたらしくなったコンクリートの道路など、
おもったよりきれいな町並み。


若いラバリー女性の買い物。
服も、ショールも、レディーメイドのものが多いのだと。
Bhujで購入した古い男性のターバンは、糸紬も織りも村でしたものらしく、
50年以上前のものだったけれど、
そういうのはもうつくっていないんだって。
バック用の生地も、刺繍がしてあるものが売られていた。

ラバリー女性の刺青。
孔雀やさそり。
村めぐりの次の日は、いちにちおやすみ。
あしたは北へいってきます。
ちらっと寄ったことはあったけれど、
なにもしらずにいくと、なかなか難しいもので、
Bhujで、下調べ。
いろんなところで、明日ANJARへいくんだって、いってみるもんです。
よくいく骨董屋さんで、すれ違いに入ってきたひとが、
ANJARの人。
地元の民族のひとたちのアクセサリーをつくったり、
趣味で古いものをあつめている方でした。
とりあえずは、そのひとを尋ねに。
1,2泊しながら、町を散策。の予定でいってきました。
東へ2時間のANJARは、昔のカッチの中心地らしい。
ラバリーやアヒルの村がまわりにたくさんあり、
町のバザールにみんな買い物にきているので、街中すてきな雰囲気。


左/アヒルの女性 右/ラバリーの男性 下/ラバリーの女性

かっこいいたたずまいの人たちがたくさん。
彼らは、カッチ語よりも、グジャラート語をよくはなしている。
ANJARから15キロほどはなれた、ワイサメリというラバリーの村へ。
2001年の大地震で、あたらしくなったコンクリートの道路など、
おもったよりきれいな町並み。




若いラバリー女性の買い物。
服も、ショールも、レディーメイドのものが多いのだと。
Bhujで購入した古い男性のターバンは、糸紬も織りも村でしたものらしく、
50年以上前のものだったけれど、
そういうのはもうつくっていないんだって。
バック用の生地も、刺繍がしてあるものが売られていた。

ラバリー女性の刺青。
孔雀やさそり。
村めぐりの次の日は、いちにちおやすみ。
あしたは北へいってきます。
どりぇもん

どりぇもん、のびた、ずずか、つねお、じゃやん。。
発音は少しちがうけれど、どらえもん、大人気です。

カッチ内でも、地域によって色がだいぶちがいます。
カッチ北部、バンニ地域では、
男性はカラフルな無地のクルタに、ロマンチックな花柄の布を、肩にかけたりあたまに巻いたり。
まだひんやりする朝のバスでは、それぞれあたまに布かぶり、
かわいらしい車内。

乾燥した荒野に、カンドゥーという名のとげのある低木がぽつぽつと。
こどもたちは、そこをはだしで歩く!



牛の糞と土などまぜたもので、家も、家族の敷地内も、ぺたぺたとならしてつくる。
お直しもすぐできるのがいいね。
普通の地面よりも、ごつごつしていなくて、すこしやわらかくて、
はだしできもちのいい地面。


4歳くらいのちびっこも、じぶんの服用に刺繍をしていた。
やんちゃだけれど、女のこは女のこらしく。
みんなおしゃれさん。
20日間ほどカッチ内をめぐってきましたが、
やっぱり、移動はしんどいです。。
体力はあるほうですが、あたまでおもっているより、実際はおとろえているようで(笑)
村と村のあいだに、休憩がひつようだと感じました。
2001年の大地震で、おおきな被害があったカッチ。
プレートがいくつもぶつかる場所にあるので、
昔からたびたび地震の被害にあっています。
村が壊滅状態になったり、水路がかわったり。
そのたびに、またあたらしくつくりだす。
いろんなひとに話をきいたあと、
再び博物館にいってみた。
思っていた以上の頻度でおこっていた地震の記録もあった。
村の建物は、土でつくられたものがおおかったのが、
大地震後にはコンクリートのものも増えている。
町の中は、ほかのインドの地域のように、
鉄筋コンクリートの骨組みに、レンガを積んだ壁のつくり。
地震がおおいのに、耐震構造のかんがえはなさそう。。
「カッチ」の名前は、「カチュア」からきているそうな。
カチュアとは、亀のこと。
雨季には、湿地帯に水がはり、島状態になるカッチのかたちが
亀みたいだからとのこと。
なんだって!kachuaのはるみさん!