2008-07

「死刑」

言葉が先攻して、イメージが追いついていないことって、よくあるけれど、
この言葉についても、そうだと気づかされた。

森達也「死刑」(朝日出版)

重いテーマだけれど、すごくよみやすいです。
オウムを被写体に撮った「A」「A2」後。面会に行って話すひとたちは、ことごとく死刑となる。
ではその実態とは?
存置派、廃止派、被害者、加害者、元死刑囚、、
様々なひとたちに会って話を聞く。ゆられて、考えて、考えて、ゆれて。
そしてひとつの結論をだす。。

読みながら、自分もゆれて、考えさせられます。
冤罪(無実の罪)による死刑の存在。
そういえば、はじめて紳介の「行列のできる法律相談所」をみたときに違和感をもった。
弁護士によって、罪になったりならなかったりするんだと知った。
最後に、”罪になる確率〜%”みたいな表記が、軽くていやだった。
それがそのまま実社会だったんだ。

存置派、廃止派、どちらにしても、
誰かが手を下して殺める罰が、ここから地続きにあるということを、知っておかなくちゃいけない。
死を考えることは、生を考えることでもあるんだ。

一足遅かったか

あれまぁ。
書こう書こうと思ってサボってたら先に書かれちゃったよ(笑)

森達也節全開ですごくよかったね。

骨子としては、
1.死刑が抑止力を持たないことは統計学上明か。
2.司法制度そのものが冤罪の可能性を予見して三審制を採っている以上、死刑という不可逆的な刑罰自体が非合理。
3.結果、存置派と廃止派の分岐点は遺族の感情的回復をどう図るかという一点に収束するわけだが、
要は「殺し返す」ことで感情を回復するということをどう思うか。


俺自身も家族や恋人や友人を殺されれば、素朴な感情として犯人を殺したいと思うかもしれない。
いや殺すチャンスがあればこの手で殺すかな(笑)

ただ社会的規範である法としてそれを肯定するのはいかがなもんだろうとも思うよね。
(もし肯定するのであれば世界中の戦争・紛争を肯定しなければ)
それに社会秩序とは全く関係のない応報感情を満たすだけの刑なんて、とてもじゃないけど容認できない。


森さんは「殺したくない」っていう感情論で最後結論を出してたけど、かく言う俺はまだわかんないな。
論理的に言えば死刑は廃止されるべきものだと思うけど、身近な人間が殺されれば「絶対存置!」になってるかもしれない。


おっと、森さんと同じ迷路にはまってるな(笑)
でもこうやって迷わせるのが森達也節だよね。
だから好き。

>滝嶋氏
うん。身近な人がころされたら、制度云々かんがえるまえにころしにいくかもしれない。
わからないけど。。かんがえたくないね。
不完全な他人が他人の命を奪う制度。原始的で、目に見える世界とのギャップを感じる。
本村さんがいっていた、殺人がある限り、死刑をのこしておいたほうがバランスがいいんじゃないか。っていうのもすこし納得。
でも、やっぱりなくなることを期待するなぁ。生きると死ぬが、麻痺してしまう。
疑問をもって考えるってことを、忘れないようにしたいね。
さっそく、親戚に森さんをすすめて、サイン本を貸してきたよ。
みんな、読んだらいいのにな。

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にしはらみき

14ヶ月アジアの旅から帰国し、
なぜか京都へ移住。
旅の続きのような生活。
すきなものに囲まれ
平安に過ごしています。

うちの庭の木、無花果と椿。
miki_nishihara@hotmail.co.jp

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