トッケイ、聞きました

カエルのダンス!
いろんなゲテモノに出会います。はじめて、カエルとクモ(足だけ)を食べました。あと、孵化直前のあひるの卵とか。恐る恐るだったけれど、どれもおいしかった。
ゲテモノ呼ばれる生き物はちょっとかわいそうだよなぁ。

やしの木郡。ナメック星みたいで結構すきです。

冷たい飲み物は、氷で冷やしているところが多くて
たまに、のこぎりでザッザッと削る光景に会います。

プノンペンには大きなマーケットがいくつかあって、大きな楽しみのひとつです。
安くてお手軽な食べ物にかこまれるのはしあわせだねぇ。




トゥールスレン博物館。
元高校で、30年前、ポルポト派が拠点として、たくさんの人を拷問の末殺していった場所。
生々しい写真や、そのまま残されてある独房や有刺鉄線を見ていると、重くなって頭痛がした。
人はここまで残酷になれるのかとおもった。麻痺ってこわい。

プノンペンは都会だけれど、街の端には密にくらす人々もあり。
人がいるところには、なんでもある。わくわくしてきます。

アンコールワットの近くの街、シェムリアップに来て一週間。
重い腰を上げて、たかーいチケットを買ってしまったので、久しぶりの観光をがんばった。
ほんとによく、がんばった。
一日30キロくらいを自転車で3日間。いつもならのんびり楽しめるその過程も、日差しが強すぎて、ふらふらしながら。
到着するまでに疲れてしまって、日陰でのんびりしてばかりだったりもしたけれど。
早起きして朝日をみたよ。シルエットがだんだん色味を帯びてきて、水面を水蒸気がゆっくりすべって、太陽が顔をだした。きっと、ずっと変わらない光景なんだよね。

エルマー、像のテラスの前にて。 原始的なトンボのような。樹海のような。

まるくて黄色い気球も飛んでいるよ。どのくらい遠くまで見えるんだろう。
乗りたいけれど、高くてね。。

シェムリアップはすごい観光地で日本人も欧米人もたくさん。おしゃれなレストランもたくさん。
毎週土曜日には病院の先生がフリーでチェロのコンサートを開いているというので病院内にあるホールに行ってきました。カンボジアとは思えないくらい、大きくてモダンな建物。冷房も寒いくらいにかかっていて。おちゃめな先生は、カンボジアの医療事情について語ってくれました。
ひさしぶりのチェロの音。やっぱりいいなぁ。
以前、herkeyさんの書き込みにあった、トッケイというヤモリについて。最近よく鳴き声を耳にするよ。
ほんとに、「トッケイ、、」と鳴くんだよ。姿は見たことないけれど、けっこう大きいらしいよ。
アンコールワット自転車で回ったの?
そりゃ、すごい!
そりゃ、すごい!
チェロも待ってるから はよ帰っておいで
わかりにくいけど象ね お守りエルマーも元気そう
ゲテモノが やみつきにならないように・・・
わかりにくいけど象ね お守りエルマーも元気そう
ゲテモノが やみつきにならないように・・・
大きな声
トッケイの声を聞きましたか?かなり大きな声でしょ。4年前に聞いたので、印象が薄れてきていますが・・・。
写真、楽しみに見ています。しばらく書き込みがなかったのは、そんな暇がなかったようですね。元気そうだし、楽しそうでいいな。
ところで、僕のパラグライダーの師匠が今月、世界選手権でSLOVENIJE(スロベニア)へ行ってるんです。興味があったら http://ameblo.jp/initial-f/ を見てください。
写真、楽しみに見ています。しばらく書き込みがなかったのは、そんな暇がなかったようですね。元気そうだし、楽しそうでいいな。
ところで、僕のパラグライダーの師匠が今月、世界選手権でSLOVENIJE(スロベニア)へ行ってるんです。興味があったら http://ameblo.jp/initial-f/ を見てください。
生まれてから今までにないくらいに肌が黒くなっています。
カンボジア人に「おなじ、おなじ、」といわれるくらい。。
タイも日差しが強いから、インドあたりじゃどうなることやら。
>おけいこ
虫系はやっぱり抵抗があるけれど、ふつうに食べている人を見ると、
いけるのかなぁ。なんておもってくるよ。おいしくて意外だった。
カンボジアは空がきれいだったよ。いらっしゃいませー。
>すぐるくん
がんばったさぁ。1日1ドルのママチャリで。
遺跡は当分みなくていいや。ってくらい。。
>haha
そや。チェロのために指を鍛えないと。と、たまに思い出すんだけれど、わすれちゃうんだよね。
エルマー、元気だよ。これでも、象のテラスの像は、実物大なんだよ。
>HerKeyさん
暇はいっぱいあったのですが、安いネットカフェが遠かったり、のんびり生活に慣れすぎて、更新がおくれてしまいました。。(ちょっと気合が必要なので。。)元気で楽しいですよ!
HP、覗いてみましたよ!これから飛ぶのですね。たのしみです!
カンボジア人に「おなじ、おなじ、」といわれるくらい。。
タイも日差しが強いから、インドあたりじゃどうなることやら。
>おけいこ
虫系はやっぱり抵抗があるけれど、ふつうに食べている人を見ると、
いけるのかなぁ。なんておもってくるよ。おいしくて意外だった。
カンボジアは空がきれいだったよ。いらっしゃいませー。
>すぐるくん
がんばったさぁ。1日1ドルのママチャリで。
遺跡は当分みなくていいや。ってくらい。。
>haha
そや。チェロのために指を鍛えないと。と、たまに思い出すんだけれど、わすれちゃうんだよね。
エルマー、元気だよ。これでも、象のテラスの像は、実物大なんだよ。
>HerKeyさん
暇はいっぱいあったのですが、安いネットカフェが遠かったり、のんびり生活に慣れすぎて、更新がおくれてしまいました。。(ちょっと気合が必要なので。。)元気で楽しいですよ!
HP、覗いてみましたよ!これから飛ぶのですね。たのしみです!
お、最近友達がシェムリアップに行ってたなあ。
かえるだったら食べれそうな気がするけど、クモは無理だわ!
ナメック星ってウケる(笑)
最近、沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでるんだけどさ、美樹ちゃんっぽいルートで旅してるよねえ。
かなり危険っぽいけど、美樹ちゃんの文章読んでると、そんなでも無いみたいよねえ。
あ〜、私も異国に行きたい☆
かえるだったら食べれそうな気がするけど、クモは無理だわ!
ナメック星ってウケる(笑)
最近、沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでるんだけどさ、美樹ちゃんっぽいルートで旅してるよねえ。
かなり危険っぽいけど、美樹ちゃんの文章読んでると、そんなでも無いみたいよねえ。
あ〜、私も異国に行きたい☆
うええ〜 あんまり自分的においしそうじゃない(笑)
キリングフィールドって映画を思い出した。
1970年。米ソ冷戦下。
アメリカのバックアップでロンノル将軍がクーデターを蜂起し、
シアヌークは中国に亡命する。
クーデターを実際に画策したのはCIA。完全にアメリカのわがままだった。
このアメリカの暴挙には以下のような背景があった。
1961年からのベトナム戦争でアメリカは南ベトナムを応援した。
腐政に苦しむ南ベトナムの農民&ベトナムの統一を目指す北ベトナム軍
VS
利益を守るために邪魔な共産主義を排除したい南ベトナム軍。
資本主義のアメリカはこの構図にも関わらず南ベトナムを応援した。民衆の幸せなんて一切考慮していない。
ただ、北ベトナムの共産主義が気に食わないから南側を応援したに過ぎない。
ベトナムの南側と国境を接するカンボジアとしては南ベトナムが勝利して力をつけると自国が占領される恐れがあった。よってシアヌークはベトナム寄りのカンボジア領に北ベトナム(解放軍)の補給基地をつくることを暗黙の上で了解した。
これで南ベトナム軍は南北から挟撃される形になってしまった。アメリカとしてはカンボジア領の補給基地を爆撃したいが国際世論もあるのでカンボジアの了解が要る。ただ要請するだけではシアヌークは承知しない。よってアメリカは経済援助の凍結を武器に何とか爆撃を認めさせた。そしてカンボジアの民衆ごと補給基地に爆撃を浴びせた。ベトナム軍だけでなく、カンボジアからも難民が大量に発生した。
この事実を証拠にシアヌークが国際世論に訴えれば、アメリカはベトナムから手を引かざるを得ない。戦争に負ける。そこでカンボジアの要人・ロンノル将軍を使ってシアヌークを追放し、カンボジアを意のままに操ろうとしたのだ。
「世界の警察」は随分身勝手なことをする。
ロンノル政権に移ってからは、弾劾される可能性はないのでアメリカはさらに爆撃を徹底して行うことができた。
カンボジア人の死亡者は30万人。200万人の難民が新たに発生した。
それと同時にロンノル政権は重税をかけて国民を苦しめた。亡命したシアヌークはすぐに軍隊を編成し、協力者を募った。賛同したのはロンノル政権を排除したい北ベトナム軍。
そしてクメールルージュ。筆頭はかの有名な暴君、ポルポトだった。
民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことでクメールルージュは多数の志願兵を得た。
ここで解放軍の実質上のトップにポルポトが踊り出た。
ただしこの時点ではポルポトは温厚で、農民と共に汗を流し、田畑を耕したりもした。兵士達も皆、友好的だったという。そしてベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも関わらず、ポルポト率いるクメールルージュは1975年にロンノル政権を倒しカンボジアをロンノル将軍から解放したのである。
ここまではポルポトよりもむしろアメリカの方が悪者である。
ここまでは。
解放軍は首都プノンペンに入るとすぐに民衆を着の身着のままで
強制的に地方の農村部に移した。逆らう者は容赦なく殺した。
同様の行いが全ての都市でなされた。これらはあまりに迅速に実行されたので国外に逃げられた人はほとんどいなかったそう。
そして国内を「平定」した後は以下の政策を施行した。
・私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止
・電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止
・バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止
・全ての教育機関の廃止と書物の焼却
・仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止
・都市市民の農村部への強制移住
・家族のつながりは無益とし、5歳以上の子供は全て親から隔離
・自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚
異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑された。
投獄なんて生易しいまねはしない。全て殺された。
徹底していると普通は思うだろう。
これだけでも歴史上類を見ない暴虐だと思うだろう。
しかしポルポトはそうは思わなかったらしい。
次にポルポトがは理想国家の建設のために協力者を集めた。
「例えロンノル政権に加担していたとしても私は許す。
資産家、医師、教師、技術者、僧侶は名乗り出て欲しい。
それから海外に留学している学生も帰って来て欲しい。
理想国家を作るためには君達の力が必要だ。
大切なのはカンボジアの未来なのだから」
国を良くするため、という言葉に共感した<インテリ>が次々と現れ、それこそ国内のほとんどの高い教養を得た人々、海外に留学していた学生達がポルポトの元に集った。
彼らはポルポト兵に連れて行かれ、二度と帰って来なかった。ポルポトは大嘘をついていた。彼はフランスに留学していたので民衆の集団決起の強さを知っていた。
よって理想国家を作るためどころか、将来自分に歯向かうかもしれない民衆、その指導者になれそうな教養を持った人間を一掃したかったのだ。そして民衆を少ない食事で朝から晩まで牛馬のごとく働かせた。不満を言う者、働けない者はどんどん殺した。
「疲れた」と言っただけで殺されたのだ。家族に至るまで全て。
密告を奨励し、ろくに調べもしないで殺した。少しでも正義感が強いとか、物事を考える者はそれだけで殺された。家族、一族もろとも。誰も信用できず、栄養が足りず、指導者もおらず、反乱の芽は種になる前に焼かれた。
国民はポルポトに従うしかなかった。
ポルポト兵に入隊できるのは13歳以下の少年に限られた。
ポルポトの意向通りに洗脳し易いからだ。
結果、少年達はポルポトを神とあがめ、
命令があれば肉親でも殺す鉄の兵隊になった。
そうしてポルポト兵は狂信的集団へと収束していった。
1975年から1978年の3年間のポルポト政権の期間でカンボジアでは約300万人の死者が出た。
これは国民の1/3に当る大虐殺であった。
なぜ世界がこの虐殺に関与しなかったのか。それには大まかに2つの理由がある。
1つはポルポトが徹底した鎖国政策をとり、人の移動や情報を封鎖したこと。
もう1つは真実に信憑性が欠けていたこと。
実際に何とかこの虐殺を報道するまでに至ったこともあったが、自国民の1/3を虐殺するなどあり得ないと判断された。
それは国家にとって何の利益ももたらさない。
だから誰も信じなかったというわけだ。
しかし虐殺疑惑の波紋は止め様もなく、取材の依頼が殺到した。拒否し続けて国連の視察団が来れば致命的と判断したポルポトは限定地域、限定期間での取材を承諾した。そこでは裏工作がなされ、平和な村を装ったので事実は隠蔽された。
疑問を解消できなかったジャーナリストの一部は果敢に独自の取材を展開したが、そのほとんどは行方不明になった。
まず間違いなくポルポトの命で殺されたのであろう。
ポルポトによる狂気は1979年にベトナム軍と元ポルポト派の幹部の連合軍の進行で公式の上では終わりを告げた。
ポルポト軍はタイ国境のジャングルへ逃げ落ちた。ポルポトは逃げる前に軍人以外の民衆800万人を殺そうとした。
未然に防げたからいいようなものの、もし実行されていれば生き残ったのは軍人5万人と逃げていたカンボジア人5万人。
わずか10万人ではもはや国家とは呼べない。。。
これらの出来事が起こってからまだ30年弱。決して遠い昔の話ではない。つい最近に現実にあった悪夢である。
1998年にポルポトは死んだとされているが、その真相も明らかではない。彼の洗脳を受けたポルポト兵は今だ健在でジャングルに潜みアメリカや周辺の国々の思惑がからみ、カンボジアはまだ荒れている。
警察や裁判所はワイロ欲しさに犯罪者を多量に捏造する。
観光客なども。。。この国では犯罪をもみ消すためではなく、犯罪者にならないために金を積まねば生き残れない。
アンコールワットに行く人は心して挑まねば気を許した瞬間に無実の罪で簡単に10年は投獄される。
警察の手によって。
それが今のカンボジアという国だ。それがポルポトの夢見た理想のなれの果てなのだ。
ポルポトは一体何を目指していたのであろうか。彼が掲げた理想国家の真相とは何だったのか。何のために自国民の大虐殺を行ったのか。数多くの歴史家達が解明しようとしたが未だ解っていない。
ポルポトが既に死んでいる今となっては真相は闇の中だ。。。
キリングフィールドって映画を思い出した。
1970年。米ソ冷戦下。
アメリカのバックアップでロンノル将軍がクーデターを蜂起し、
シアヌークは中国に亡命する。
クーデターを実際に画策したのはCIA。完全にアメリカのわがままだった。
このアメリカの暴挙には以下のような背景があった。
1961年からのベトナム戦争でアメリカは南ベトナムを応援した。
腐政に苦しむ南ベトナムの農民&ベトナムの統一を目指す北ベトナム軍
VS
利益を守るために邪魔な共産主義を排除したい南ベトナム軍。
資本主義のアメリカはこの構図にも関わらず南ベトナムを応援した。民衆の幸せなんて一切考慮していない。
ただ、北ベトナムの共産主義が気に食わないから南側を応援したに過ぎない。
ベトナムの南側と国境を接するカンボジアとしては南ベトナムが勝利して力をつけると自国が占領される恐れがあった。よってシアヌークはベトナム寄りのカンボジア領に北ベトナム(解放軍)の補給基地をつくることを暗黙の上で了解した。
これで南ベトナム軍は南北から挟撃される形になってしまった。アメリカとしてはカンボジア領の補給基地を爆撃したいが国際世論もあるのでカンボジアの了解が要る。ただ要請するだけではシアヌークは承知しない。よってアメリカは経済援助の凍結を武器に何とか爆撃を認めさせた。そしてカンボジアの民衆ごと補給基地に爆撃を浴びせた。ベトナム軍だけでなく、カンボジアからも難民が大量に発生した。
この事実を証拠にシアヌークが国際世論に訴えれば、アメリカはベトナムから手を引かざるを得ない。戦争に負ける。そこでカンボジアの要人・ロンノル将軍を使ってシアヌークを追放し、カンボジアを意のままに操ろうとしたのだ。
「世界の警察」は随分身勝手なことをする。
ロンノル政権に移ってからは、弾劾される可能性はないのでアメリカはさらに爆撃を徹底して行うことができた。
カンボジア人の死亡者は30万人。200万人の難民が新たに発生した。
それと同時にロンノル政権は重税をかけて国民を苦しめた。亡命したシアヌークはすぐに軍隊を編成し、協力者を募った。賛同したのはロンノル政権を排除したい北ベトナム軍。
そしてクメールルージュ。筆頭はかの有名な暴君、ポルポトだった。
民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことでクメールルージュは多数の志願兵を得た。
ここで解放軍の実質上のトップにポルポトが踊り出た。
ただしこの時点ではポルポトは温厚で、農民と共に汗を流し、田畑を耕したりもした。兵士達も皆、友好的だったという。そしてベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも関わらず、ポルポト率いるクメールルージュは1975年にロンノル政権を倒しカンボジアをロンノル将軍から解放したのである。
ここまではポルポトよりもむしろアメリカの方が悪者である。
ここまでは。
解放軍は首都プノンペンに入るとすぐに民衆を着の身着のままで
強制的に地方の農村部に移した。逆らう者は容赦なく殺した。
同様の行いが全ての都市でなされた。これらはあまりに迅速に実行されたので国外に逃げられた人はほとんどいなかったそう。
そして国内を「平定」した後は以下の政策を施行した。
・私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止
・電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止
・バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止
・全ての教育機関の廃止と書物の焼却
・仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止
・都市市民の農村部への強制移住
・家族のつながりは無益とし、5歳以上の子供は全て親から隔離
・自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚
異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑された。
投獄なんて生易しいまねはしない。全て殺された。
徹底していると普通は思うだろう。
これだけでも歴史上類を見ない暴虐だと思うだろう。
しかしポルポトはそうは思わなかったらしい。
次にポルポトがは理想国家の建設のために協力者を集めた。
「例えロンノル政権に加担していたとしても私は許す。
資産家、医師、教師、技術者、僧侶は名乗り出て欲しい。
それから海外に留学している学生も帰って来て欲しい。
理想国家を作るためには君達の力が必要だ。
大切なのはカンボジアの未来なのだから」
国を良くするため、という言葉に共感した<インテリ>が次々と現れ、それこそ国内のほとんどの高い教養を得た人々、海外に留学していた学生達がポルポトの元に集った。
彼らはポルポト兵に連れて行かれ、二度と帰って来なかった。ポルポトは大嘘をついていた。彼はフランスに留学していたので民衆の集団決起の強さを知っていた。
よって理想国家を作るためどころか、将来自分に歯向かうかもしれない民衆、その指導者になれそうな教養を持った人間を一掃したかったのだ。そして民衆を少ない食事で朝から晩まで牛馬のごとく働かせた。不満を言う者、働けない者はどんどん殺した。
「疲れた」と言っただけで殺されたのだ。家族に至るまで全て。
密告を奨励し、ろくに調べもしないで殺した。少しでも正義感が強いとか、物事を考える者はそれだけで殺された。家族、一族もろとも。誰も信用できず、栄養が足りず、指導者もおらず、反乱の芽は種になる前に焼かれた。
国民はポルポトに従うしかなかった。
ポルポト兵に入隊できるのは13歳以下の少年に限られた。
ポルポトの意向通りに洗脳し易いからだ。
結果、少年達はポルポトを神とあがめ、
命令があれば肉親でも殺す鉄の兵隊になった。
そうしてポルポト兵は狂信的集団へと収束していった。
1975年から1978年の3年間のポルポト政権の期間でカンボジアでは約300万人の死者が出た。
これは国民の1/3に当る大虐殺であった。
なぜ世界がこの虐殺に関与しなかったのか。それには大まかに2つの理由がある。
1つはポルポトが徹底した鎖国政策をとり、人の移動や情報を封鎖したこと。
もう1つは真実に信憑性が欠けていたこと。
実際に何とかこの虐殺を報道するまでに至ったこともあったが、自国民の1/3を虐殺するなどあり得ないと判断された。
それは国家にとって何の利益ももたらさない。
だから誰も信じなかったというわけだ。
しかし虐殺疑惑の波紋は止め様もなく、取材の依頼が殺到した。拒否し続けて国連の視察団が来れば致命的と判断したポルポトは限定地域、限定期間での取材を承諾した。そこでは裏工作がなされ、平和な村を装ったので事実は隠蔽された。
疑問を解消できなかったジャーナリストの一部は果敢に独自の取材を展開したが、そのほとんどは行方不明になった。
まず間違いなくポルポトの命で殺されたのであろう。
ポルポトによる狂気は1979年にベトナム軍と元ポルポト派の幹部の連合軍の進行で公式の上では終わりを告げた。
ポルポト軍はタイ国境のジャングルへ逃げ落ちた。ポルポトは逃げる前に軍人以外の民衆800万人を殺そうとした。
未然に防げたからいいようなものの、もし実行されていれば生き残ったのは軍人5万人と逃げていたカンボジア人5万人。
わずか10万人ではもはや国家とは呼べない。。。
これらの出来事が起こってからまだ30年弱。決して遠い昔の話ではない。つい最近に現実にあった悪夢である。
1998年にポルポトは死んだとされているが、その真相も明らかではない。彼の洗脳を受けたポルポト兵は今だ健在でジャングルに潜みアメリカや周辺の国々の思惑がからみ、カンボジアはまだ荒れている。
警察や裁判所はワイロ欲しさに犯罪者を多量に捏造する。
観光客なども。。。この国では犯罪をもみ消すためではなく、犯罪者にならないために金を積まねば生き残れない。
アンコールワットに行く人は心して挑まねば気を許した瞬間に無実の罪で簡単に10年は投獄される。
警察の手によって。
それが今のカンボジアという国だ。それがポルポトの夢見た理想のなれの果てなのだ。
ポルポトは一体何を目指していたのであろうか。彼が掲げた理想国家の真相とは何だったのか。何のために自国民の大虐殺を行ったのか。数多くの歴史家達が解明しようとしたが未だ解っていない。
ポルポトが既に死んでいる今となっては真相は闇の中だ。。。
oguraの写真を見ると、亜細亜の風景には何かこう、街の匂いみたいなのがある気がしますね。
幼少期を郊外で過ごした自分にはその記憶自体がないけれど、多分この匂いを「原風景」とか「心の故郷」とかいうのかな。「ノスタルジー」とか。
もう日本には余り残っていないんだろうね。
幼少期を郊外で過ごした自分にはその記憶自体がないけれど、多分この匂いを「原風景」とか「心の故郷」とかいうのかな。「ノスタルジー」とか。
もう日本には余り残っていないんだろうね。
>みきちゃん
きみならクモでもなんでも食べられるさ。
深夜特急は、まだ読んでないんだー。おもしろい?
いまのところ、恐いことはないよ。気をつけてはいるけどね。
>かわさきくん
キリングフィールド、みたよ。
ストゥートレンでは、拷問でつかった機械をいくつかみた。
いろんな方法の拷問を考えたり、そのためにあんな手間をかけて機械をつくったり。麻痺しているとしか思えないよ。実際に手をかけたひとたちは、どう思っていたのか想像してみる。。麻痺せざるおえなかったのか。。人間って、弱いね。
>滝嶋氏
そういう、街の匂い、人の匂いがたまらなくすき。
日本にも、あるとおもうよ。すごく身近にも。
生まれ育ったところだしね。
きみならクモでもなんでも食べられるさ。
深夜特急は、まだ読んでないんだー。おもしろい?
いまのところ、恐いことはないよ。気をつけてはいるけどね。
>かわさきくん
キリングフィールド、みたよ。
ストゥートレンでは、拷問でつかった機械をいくつかみた。
いろんな方法の拷問を考えたり、そのためにあんな手間をかけて機械をつくったり。麻痺しているとしか思えないよ。実際に手をかけたひとたちは、どう思っていたのか想像してみる。。麻痺せざるおえなかったのか。。人間って、弱いね。
>滝嶋氏
そういう、街の匂い、人の匂いがたまらなくすき。
日本にも、あるとおもうよ。すごく身近にも。
生まれ育ったところだしね。
ブログ読んでて、なんだかほのぼのさせられたわ。
私もカエルは好き☆
朝日の写真は超キレイだね。
やっぱりカメラはないとダメですな。
今度はなくさないように♪
私もカエルは好き☆
朝日の写真は超キレイだね。
やっぱりカメラはないとダメですな。
今度はなくさないように♪
>yumikoさん
カメラ、紐でしっかりとカバンにくくりつけておりますよ。。
こんどなくしたら、カメラはないものと諦めようと。。
初カエルは、食べた後に知らされたよ。
食用カエルと普通のカエルとの違いとは。。
カメラ、紐でしっかりとカバンにくくりつけておりますよ。。
こんどなくしたら、カメラはないものと諦めようと。。
初カエルは、食べた後に知らされたよ。
食用カエルと普通のカエルとの違いとは。。

写真きれい☆そっちの方行ってみたいな〜。