産まれた日

2月13日にふたりめの男のこが産まれました。
帝王切開だったふた坊やにつづき、もし可能なら自然分娩で産みたいとおもい、
同じ大きな病院での出産。
紛れもなく、人生でいちばんがんばった数時間でした。
どんな人も、いきものたちも、あたりまえのようにこの時を経ているのだなとおもうと、命の尊さをより実感して、争いがあるのが不思議におもいます。
世のおかあさんたちを本当に尊敬。
支えていただく頼もしい助産師さんや先生方に、深い感謝の気持ちでいっぱい。
無事に産まれてくれた赤ちゃんにもありがとう。
支えてくれた家族にもありがとう。
産まれた日のささやかな記録。
予定日まで一週間前。
深夜に破水したかとおもって病院にいくも、違うとのことで、
次の日の深夜も、また破水かなぁとおもいつつ、勘違いだったら、とお昼まで家にいてからの診察。
結局、破水していて、そのまま入院に。
満月の後で、病院は満床。
分娩室を個室代わりに一晩すごし、その日は陣痛はこなかったので、
翌朝から促進剤を投与。
帝王切開の可能性もあったので、飲食禁止の中、薬の数値を上げていく。
お昼くらいには、助産師さんに「痛みの波がきましたー」なんていっていたのが、
2時ごろには話せないほどの痛みの波と、合間は気絶のように眠るの繰り返し。
帝王切開にしてもらえばよかったーとなんどもおもった。
「今日はここまでにして、あした続きにしましょう」
と先生から。
夜ご飯も食べられるし、痛みから解放される。とほっとすると、
急にたくさんの人が分娩室に入ってきたのが朦朧としたなかでも慌ただしくわかった。
「産まれます!」えー!?とおもいつつも痛みの中、あれよあれよと分娩台へ。
あとで知ったところ、薬の投与を止めてから、赤ちゃんの心拍が弱って
帝王切開になりそうだったところ、
いままでなかなか開かなかった子宮口が急に全開近く開いたそう。。
そこからは、痛みの波にのっていきむ、気絶のように眠る、の繰り返し。
あとに下がることはできないし、いくらお手伝いしてもらっていても、
わたしががんばるしかないんだ。とおもった。
最後の熱気が朦朧のなかでもよく感じられたラストスパート。
スッポンでなんどか引っ張られたあかちゃんが、出てきました。
分娩台に登ってから4時間ほど。
永遠に終わらない気がしたけれど、ちゃんと着地できた。
最近足を痛めたお母さんが、杖をつきながら実家からきてくれて、
分娩室に入れないふうたと、扉の外で待っていてくれた。
としさんは付き添って頭に手をあててくれていたのがわかった。
ふうたも、おとうちゃんと二人の数日をすごくいいこにしていてくれていたよう。
言葉にはださないけれど、いろいろ感じているのがわかる。やさしいこ。
その晩、おとうちゃんとおうちに帰って
自分で日記を描きはじめたそうな。
5歳のお誕生日にあげた日記帳。
字をまだかけないけれど、絵で残るように記録できたらと。
あとで、日付と出来事を添えてあげています。
家族が4人になった日。

すごくかわいがってくれています。
ありがとう。

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